菊池容斎の門人。本姓は吉川、名は義復(よしまた)、俗称は良昭、幼名は貞吉、後に政吉。通称は良助。省亭は号。一昔前は専門家でも「しょうてい」と読んでいるが、省亭の末裔にあたる人々は「せいてい」と読んでおり、渡欧中の省亭に触れたフランスの文献でも「Sei-Tei」と紹介されていることから、「せいてい」が正しい。なお息子に俳人の渡辺水巴がいる。

代々秋田藩の廻船問屋を務める吉川家に、吉川長兵衛の次男として、江戸神田佐久間町に生まれる。父は、前田夏蔭の門人で和歌を嗜んでいた。8歳の時、父が没し兄に養われる。13歳の時、牛込の質屋に奉公に出るが、絵ばかり描いてそれがなかなか上手かったため、店の主人が親元を説得し、16歳で容斎に弟子入りする。

渡辺省亭『花鳥画帖(迎賓館赤坂離宮七宝下絵)』より「小鴨図」 東京国立博物館蔵

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