明治8年(1875年)美術工芸品輸出業者の松尾儀助に才能を見出され、輸出用陶器などを扱っていた日本最初の貿易会社である起立工商会社に就職。濤川惣助が手掛ける七宝工芸図案を描き、この仕事を通じて西洋人受けする洒脱なセンスが磨かれていく。明治10年(1877年)の第一回内国勧業博覧会で、起立工商会社のために製作した金髹図案で花紋賞牌(三等賞)を受賞。更に翌年のパリ万国博覧会で、同社から出品した工芸図案が銅牌を獲得。これを機に、起立工商会社の嘱託社員としてパリに派遣された。これは日本画家としては初めての洋行留学である。メンバーは副社長の若井兼三郎ら7名で、その中には林忠正もいる。省亭はこの時洋装ではなく、「法被股引」姿で欧州へ出かけたという。
渡辺省亭『花鳥画帖(迎賓館赤坂離宮七宝下絵)』より「白鷺図」 東京国立博物館蔵
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